自分の過去を振り返ってみる。
私自身ってなんですか?
ソード9…このカードを見て最初に思い出すのは、大学時代。
私は大学生の時、大学に行けなくなりました。
電車に乗ると腹痛や下痢や吐き気に襲われていました。
特に電車のドアが閉まるその瞬間、パニックはピークに達する。
また、次で乗り換えだからあと一駅我慢…!と思うと我慢できず、何かとっても怖くて、吐くのも怖くて、飛び立すように電車を降りてトイレに駆け込んでた日々。
そんな朝だから、自分の通る駅のトイレの場所は全部把握していた。いつどこで降りた時、どのトイレが最短で、どのトイレが一番混んでないか。
ただ不思議とトイレにこもって数分すると、吐き気も腹痛も収まるんてますよね。
それで回復したと思ってまた電車に乗って、またパニックになって降りる。
だんだんその頻度が上がり、とうとう一駅、二駅しか乗れなくなり、学校には遅刻。遅刻が溜まると期末が受けれず単位がもらえないんですよね。
ところで、早く出れば?という方がいるかもしれない。
けど電車に乗って一駅で降りてトイレにいって、また戻って電車乗って、一駅で降りて…を繰り返してみてほしい。
通常かかる時間の2〜3倍かかるんですよ。
仮に通学に1時間かかるとして、どうせ乗れないからって3時間早く出る。そんな効率悪すぎる事があるか…!!!
となり、私は大学に行けなくなりました。
しかし、私は退学も休学もしなかった。
ここから先はある種のサバイバル戦略になるかもしれないので、一部参考にできる人がいたらやってみてほしい。
ただ一部はマジマジマジ特殊環境なので…そこは木星4室強強マンの有り難さではあった。
いや全体的に助けられまくってるんですよね…あの時助けてくれた大人たち、ありがとう。
さて、まずは学校を無断欠勤していた三年後期。
担任の先生に呼び出されるの巻(大学なのに担任がいる)
その先生には特に気に入られていたので、電車に乗れない時が多すぎて通えない話をしました。
そしたら、後期の授業のどうしても来年に回せないもの以外は、来年に回しましょう!と。
確か進級するのに必須単位数などあったはずですが、そこら辺どうにかしてくれたみたいで、ほんとありがたかった。
さて、四年になって、復活だー!
といくだろうか?いきません。
病院にも行ったし、薬も飲んでたけど、パニックはなかなか改善しなくて、通学ができない。
そんな時にどうしたかというと、車通勤の父親に運搬してもらう!
どうですかこれ…あまりにも無理矢理すぎる。
車を運転する父親の隣でガヂガチに固まった私を学校近くまで運ぶ父。
これが出来るのすごいな〜と思いつつ、これができたから、最後まで通ってしまった。
どっちがいいのかはわからない。
こうしてとりあえず学校に運ばれたのはよかった(?)ものの、
今度は授業中に気持ち悪くて仕方なくて、ナウゼリン飲んでも吐き気が消えなくて、
ずっときもちわるい、きもちわるいで頭がいっぱいだった。
そんな中仕方なくやっていたのが、睡眠学習。
嘘です、うとうとして時間が過ぎるのを堪える。
ひたすらに耐える。終わった瞬間トイレに駆け込む。
マジ四年の時授業→トイレ→授業の往復しかしてなかった。
あとは、明らかに理解が足りない講義は、適当に周りの人に話しかけてノートを見せてもらってた。
とりあえず単位を落とさない、吐かない、トイレに篭る、父に運搬される、が四年次に必死にやっていた事です。
これでなんと、卒論も図書館で最短で調べ物してコピー取って家で書くという形で書き上げました。
自分が入ってたのがらゆ〜るいゼミだったというのもあるけど、ゆるゼミ、ありがとう。
そんな感じで、通学ができなくなっても、休学しなかったし、留年もせず卒業できた。
でもこれ、ほんとに良かったの?と思うことはある。
普通通学出来なくなった所でドロップアウトして、
自分の人生見つめ直したりしない?とか思わないわけでもない…。
私が無事卒業できたのは親の力や、先生の親身さや同じ授業をとってた人達の優しさがあってのものだ。
それはわかっている。
けれど本当にそれで良かったのか…?
私の答えはまだ出ていない。
ただ今わかるのは、私はこの時の課題を未だ終えられていないのだろう…ということである。
少し真面目な話でした。
チャンチャン。
ただ、マジで電車乗れない動けない、そういう症状がある人は、早めに病院を探して行ってください。動けなくなってからはしんどみ1000倍です。
そのうち、無理し過ぎると倒れるぞ編も書きたい。
使ったのは、ムーンチャイルドタロットでした。
追記
私は守られている。自分を否定する声にエネルギーを与えてはいけない、そんなメッセージを受け取り、この追記を書くことにしました。
私はほんとはあの大学には行きたくなかったんだと思う。だからバカなこともしたし、身体的に不調も出てた。体はもう、行きたくないと言っていて、私の心もカチンコチンに固まっていたのに、私は行かなければいけないと、思っていた。
親に申し訳ない。
みんな行ってるのに。
学力に違いがあり過ぎる。
なんでそんな簡単な質問に答えられないの?
イライラしながら通っていた。
全部、自分が自分の目標を見つけず揺蕩っていたせいなのに、周りにイラついて自分の首をしてめいた、そんな感じがしている。
あの時私は、自分がどうしたいか、隠者の様に向き合い考えるべきだったのだと思う。
そして世間の目も面目も気にせず自分の道を選ぶことが最善だったんじゃないかなぁと感じています。
あの時、自分の道を選ばなかった私は、まだ自分の道がよくわからないまま。
どうしたらいいんだろう…そんな漠然とした不安を抱えたままです。
でも、今できる事は一つだけある。
あの時周りの力を借りてでも通い切った私、えらい!すごい!よく頑張ったね!
そうやって自分を抱きしめる。
どんなに親に否定されても、他人に否定されても、関係ない。
私を信じるのは私。私を愛するのは私、今は、それでいい。
たぶん、ね。